黍太郎日記
2002年


7月31日(水)

生産工場で、システムのデモを行う。
前回よりは完成度が上がったが、なにかが足りない。
実際、使ってもらって調整していこう。

7月30日(火)

システム開発の追い込みに入る。
明日はデモの日。あれこれ考えてもはじまらない。
開き直っていこう。

ブラウザでデータ表示する画面がやっと出来た。


7月29日(月)

隣の学校が、県大会で優勝した。
相手(準優勝)は母校に逆転勝ちした学校。

昔は良く、ボールが転がり込んできて、部員が取りに来るまで集めたものだ。
挨拶だけはしっかりしていたな。優勝おめでとう。


7月28日(日)

徹夜のムー読者会明け。
皆さん、お疲れさまでした。
家に帰って、アザラシのように、しばらく眠る。

7月27日(土)

「ムー読者会」に、K木さんと出かける。
21時を過ぎても、主催者と私たち以外は誰もいない。どうしたのだろうか。
その後、ポツリポツリと現れて、不思議談義を開始する。
コミケ、ゲームの話題もあって、面白かった。

7月26日(金)

早いところでは明日から夏季休業のようだ。
お盆の時期とは違い、出かけると人が少ない時期なので羨ましい。
明日は、四国オフの打ち合わせがある。

7月25日(木)

高校野球で母校が敗戦した。
6回表まで9対1、8回表まで9対5で勝っていたのに、逆転負け。
勝てると思って気が抜けて油断でもしたのだろうか。
特に注目された選手はいなかったが、良く勝ち進んだ。お疲れさまでした。

駅で待ち合わせて、産経新聞の記者の方と食事をする。
「学校の怪談」についての取材だ。
でも「今時の子供たちは…」と、社会問題の話ばかりになってしまった。
記事、書けるのでしょうか、心配。


7月24日(水)

サーバとホストコンピュータとの間のインターフェースを作成する。
同期がとれないと、データが消滅してしまうので、なんとかならないものだろうか。
データの参照ソフトも作る。

7月23日(火)

生産工場で、システムの打ち合わせを行う。

来月のオフ会の案内を掲示板に出した。
9月は、三連休が多いので西の方へ足を伸ばすことに。
今年の夏季休暇は三年に一度のお盆シーズン。出かけると渋滞するだろうな。


7月22日(月)

プログラムのバグが見つかった。
バグといっても、依頼者側の意向を自分が汲み取れなかっただけ。
変な仕様になるところだった。早く気が付いて良かった。

7月21日(日)

車を取りに行くときにフィギュア付の菓子『ムー未確認動物〜UMAの謎〜』を幾つか買う。
イエティ、チュパカブラ、カエル男、ネッシーなどなど。
妖怪フィギュアとは違って、また別の趣がある。

車の修理は終わったが、幽霊アンテナは相変わらず。
直すよりも新品を。純正品よりも市販品を。
そうアドバイスされたけど、どうしようか迷う。


7月20日(土)

朝一で車を持っていく。
アンテナは伸びたままだと洗車機の邪魔だし、立体駐車場のカゴに引っかかってしまう。
直りますように。

7月19日(金)

カーラジオのスイッチを入れないのにアンテナが勝手に伸びてしまう。
ひどいときには、伸び縮みを繰り返してしまう。後続車が不審に思うかも。
また、車のストップランプが点かなくなっていた。こちらは致命的。
電話で修理を依頼した。

7月18日(木)

生産工場で、営管システムの打ち合わせを行う。出来は80%くらい。
使用に当たって、いろいろとお願いすることがあったので、未完成で残念だった。

7月17日(水)

四国オフの宿泊先の予約をするのを忘れていた。一ヶ月を切っている。
宿が確保できないと行き先が決まらないので、慌てて予約した。

7月16日(火)

入力データの参照画面を作る。
とにかく、表示する項目が多くてデザインするのが大変だった。
最初の試作画面を見て、センスの無さを感じた。

7月15日(月)

旅行明けなのに、不思議と疲れは無かった。
プログラムの机上デバッグを開始した。

7月14日(日)

那覇空港では台風の影響で航空便が欠航していた。
チケットが取れなかったので鹿児島から帰る事にしていたのだが、雨男の割には運が良かった。
午前中には、家に帰り着いた。

7月13日(土)

鹿児島に移動。
レンタカーを借りて知覧の「知覧特攻平和会館」へ。
出撃順に兵隊さんの個人パネルが展示されていたが、階級が皆、少尉以上。
階級の高い人から出撃していったのかと思ったらそうではない。亡くなってから階級が特進したのである。

どのような気持ちで散華していったのであろうか。
他の観客とは違って、こみ上げるものは不思議と無かったが、とてもむなしかった。
零戦の残骸や、三式戦や四式戦を見る。

知覧池田湖

その後、イッシーが出たという池田湖と開聞岳の麓まで行く。

道を戻って、南洲墓地と西郷隆盛最期の地を探して鹿児島市内でおおいに迷う。
見つけた時は、もう、20時を過ぎていた。
後で判ったことだが、ガイドブックの周辺地図のエリアから、とっくに行き過ぎていたのである。


7月12日(金)

バスで斎場御獄(せいふぁうたき)へ向かう。
知念半島の先端部にある、琉球で最も神聖であった場所。
ブルーガイド『てくてく歩き』の周辺地図のバス停の位置と御獄の場所、地図の高低差を見誤ったのか、手前のバス亭で下車してしまい、1.5kmの坂道を登る。
台風が近づいているせいか、上から吹き下ろす風で坂をのぼるのがつらい。
立ち止まって休んでは、歩き、休んでは、歩き。ホントに「てくてく歩き」だった。

御獄は世界遺産のせいか、説明板が充実していた。
玉泉洞は御獄のすぐ西側なのに、御獄から向かう方向のバスが無い。
どう行こうかとバスに適当に乗るうちに、知念半島を1時間ほど彷徨う。
街までバスで戻り、豊見城城祉公園の坂をタクシーに注意しながらトボトボと歩く。
やっと交差点でタクシーを拾って、旧海軍司令部壕へ。

司令部壕の頂上では、吹き飛ばされそうな強い風と小雨が降ってきた。
壕のある丘からテクテクと降りきったとき、女性ドライバーのタクシーが止まってくれた。
いいタイミングである。客と見抜く眼力はすごいものである。

ひめゆりの塔へ向かう途中、半島で随分とさまよった事を話したら、「タクシーは全部無線で動いているから、流しはいないんですよ〜」とのお言葉。
霊の話を聞いてみると、「何処何処に幽霊が現れるというよりも、憑かれるという話が多いですよ」と。
自分の娘の憑依体験を語ってくれた。

ひめゆりの塔

結局、知念半島を彷徨ったせいで、だいぶ時間をロスしてしまい玉泉洞と摩文仁の丘へは行けなかった。
10月末に再度訪れるときは、レンタカーを借りることにしよう。
次回は『沖縄の怪談』に載っている幽霊・妖怪スポットを巡る予定。


7月11日(木)

14時過ぎの飛行機で名古屋から沖縄まで。16時半すぎ到着。
沖縄は海洋博以来だから、随分とご無沙汰。名古屋空港も、豪州に潜りに行って以来だから、こちらもご無沙汰。
ゲートの外で「めんそ〜れ〜」と歓迎を受ける。何処の回し者だろうか…。

タクシーに乗って玉陵(たまうどぅん)へ。
玉陵は、尚真王が父・尚円王の遺骨を改葬するために建てた石造建築の墓陵。
この地では、洗骨の風習があったのだ。
第二尚氏歴代の墓でもあり、資料館には数々の優美な骨壺のパネルが展示されていた。

玉陵守礼之門

その後、首里城で風水的な遺物を見つける。近くの円覚寺跡、弁財天堂に寄る。

帰りのバス車中からBOOK OFFを発見。すぐ降りて、沖縄関係の民俗資料を買いあさる。
BOOK OFFへ行くのは、遠出の楽しみの一つである。

その後、地元の方と泡盛で酒盛りをする。
仕事の都合で明日の案内は無理とのこと。残念である。


7月10日(水)

出来上がったシステムのデモを行う。

台風が近づいてきたので早めに帰る。
東京駅まで行くと、新幹線が全て運休中。
一度は改札脇を通って車両に乗り込んだものの、運転再開のメドがたっていない。
東海道線は熱海までは走っているが、その先は分からないとのこと。
迷ったけど、鈍行乗り継ぎすることに。沼津行きに乗る。

三島からホームライナーに乗って終点まで。ホッとしたものの静岡止まりという非情のアナウンス。
静岡始発があって運がよかったものの、とんでもない日であった。


7月9日(火)

マクロやクエリのデバッグをする。
データ項目が多くて、なかなか捗らなかった。

7月8日(月)

しばらくメールが来なかった方から、自分の知らない京都の情報をいただいた。
お礼のメールを出すべきかどうか迷う。
返信しても返事が来ないメールを出すというのは、何となくさびしい。
忙しいの一言で片付けられるのは、他人だから仕方のないことだけど。

7月7日(日)

今日は単独行動。
幾つかスポットを見学した後、吉野山蔵王堂の奇祭「蛙飛び神事」に出かける。
ポスター

地元の方は不参加。やはり、あのことが尾を引いているのであろうか。
他人の口に戸は立てられない。もっともな事である。

この手の奇祭では、広隆寺の「牛祭」もあるが今年は中止。
神田で偶然手に入れた吉野の本で、予習をしっかりしていたので、ツボは抑えてある。
でも、良い撮影場所を夢中で探し求めていたせいか、肝心な「金剛蔵王権現像」を拝んでくるのを忘れてしまった。
祭の最中、霧雨が降ってきた。なんだかなぁ…。

帰り、橿原神宮駅から近鉄特急のビスタカー(二階席)に乗れたので、まあ、良しとするか。


7月6日(土)

朝一で、東大寺の執金剛神立像を拝んできた。
奈良国立博物館の『大仏開眼1250年 東大寺のすべて』展を駆け足で観た。
細かいところは、手に入れた分厚いガイドブックで補おう。

今日は関西オフ。MLからの参加者はゼロ。オークションで知り合った自称オタクな方たちと回ることに。
四天王寺オフの時に戴いたパンフのお寺へ出かける。
霊写真が撮れると教えていただいたからだ。
でも、後ろ向きに撮るのか、写真の撮り方のコツなど肝心なことを忘れてしまっていたので、写っているかどうか。

幾つかスポットを見学した後、雑誌『ほんとにあった怖い話』の体験談に載っていた幽霊の出る建物を訪れる。
部屋が多いと、色々な噂話がたつのであろうか。


7月5日(金)

明日から関西オフ。
奈良に泊まるのは、中学の修学旅行以来で久しぶり。
そのとき泊まった信貴山朝護孫子寺では、定番の枕投げの思い出がある。
肝試しでも出来そうな雰囲気だったが、機会があればもう一度訪れてみたい。

明日に備えて、早く帰った。


7月4日(木)

始めた頃は不安だらけだったが、アクセスでの開発も徐々に慣れてきた。
やっぱり何事も、やる前から不安がっていては何にも始まらないな。

7月3日(水)

『ムー読者会』の連絡をいただく。
平成元年くらいから継続しているそうなので、参加者の年齢層は高い。
過去、2回出席しているけど、宇宙語を話す人など、いろんなキャラクターの人たちがいて面白かった。

7月2日(火)

サルタヒコの先生の、神道の講座へ出かける。
前回の「一ヶ月後の4日」という思いこみで、危うくすっぽかすところであった。

7月1日(月)

営管システムの開発。
データ項目が多い。画面遷移が多いと、わけが分からなくなる。

東京駅でK木さんと会う。
商店街をウロウロする。フジテレビの店で目玉おやじの湯呑みを買う。

とんかつ屋で食事をしたが、K木さん、ご飯をおかわりするほど元気があったのか。
自分の中で、何か変な先入観があるみたいだ。
商店街をあとにして、八重洲ブックセンターに寄る。

何だか知らないけど、グリーン車に乗って帰ることに。
定期券では乗れないので、「スイカです」と言って無事乗り込んだ。#実際、スイカを使用
二階席からホームの混雑(行列)を見下ろすのが快感になりつつあるのだろうか。
途中、隣りにビール缶を持ってテーブルに缶をガタガタ打ち付ける行儀の悪い客が来た。
足を組んで寝始めた。通路に出にくいのは窓際のリスクか、ちょっと気分が悪くなった。


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