黍太郎日記
2002年


9月30日(月)

今日は朝から某ホテルで、全従業員を集めての会社説明会があった。
終業前には、部長から今後の方針説明があったが本社集約の方向とのこと。
ファイナルアンサーまで、あと数日。決め手が無い。
「ええぃ!ままよっ!」てなわけにはいかないか(^^;

29日付のYahoo! JAPAN「今日のオススメ」に『怪異・日本の七不思議』が掲載された。
ここのところ、更新を頑張っていて良かったと思う。
読者の皆さん、サーファーチームの皆さん、ご支援ありがとうございました。


9月29日(日)

「セール」という言葉に誘われるように、ふらふらと優勝記念セールへ出かける。
だけど、セールの購買層からはみ出ているせいか、特に買うものは無かった。がっくし。

今日はK木さんの誕生日。おめでとう!!
歳は私より随分と若いけど、自分に足りないところ、あるべき姿をたびたび気付かせてくれる。
自信を持って、まだまだ年輪を重ねてください。


9月28日(土)

川崎のライブ明け。眠くて、少し体がだるい。
ごたごたしているので、ライブは来年あるのだろうかと、ちょっと心配になった。

9月27日(金)

深夜まで会社の周りで時間を潰す。
電車に乗り続けて時間を潰しても良かったかな。
また、機会があったら電車でGO!でもしてみるか。

9月26日(木)

和歌山県の白良浜海岸で、百匹あまりの赤ちゃんウミガメ(アカウミガメ)が誕生した。
地元の中田島砂丘では、何年も前からアカウミガメの保護活動が活発だ。
小さい(頃の)生き物は、何でも可愛い。

昨日、長野県で、民家の庭に入り込んだ熊が射殺された。
人間の安全が最優先とはいえ、他に選択の余地が無かったのかと心が痛んだ。
タマちゃん、ウタちゃん、どちらも愛くるしい。
害獣と益獣。その境界って、いったい何なんだろうか…。


9月25日(水)

もう、夜は寒くなってきた。夜のホームは寒い。
半袖でテニスをやるのも今月いっぱいかな。
もっと寒くなるから、適当にやっていたストレッチを入念にやって、怪我しないように気をつけよう。

9月24日(火)

労組の集会が定時間内にあった。
労組の財産をめぐって組合員から分配を要求する質問があり、関係ない話題で時間がだいぶ潰れる。
今後の道標より、結局はお金が欲しいのかい。腹がたった。

プロ野球は、巨人がセ・リーグを制覇した。
明日から優勝記念セールが始まる。楽しみだ。

サルタヒコの先生、今日は集会のため講義に出席できなくてごめんなさい。


9月23日(月)

今日は比叡山オフの日。山登りする前に、幾つかスポットを巡る。
比叡山スタンプラリー、慈忍和尚廟、総待坊「一眼一足」の妖怪額と天梯権現の撮影、狩籠の丘の特定など先週のやり残しを消化した。
全てを終えて四条で別れる。お疲れさまでした。

9月22日(日)

今日は兵庫オフの日。朝5時に車で家を出発。
先週とは別コースで六甲を回る。
その後、幾つかスポットを経由して、佐用町と京都府の大江山へ向かう。

地図が大まかだったので、三人のジモティに道を尋ねながら、佐用ICから晴明塚に辿り着くまで20km50分走った。
帰りは6km10分だったので、随分と遠回りしたようだ。
締めくくりは、大江山で雨…。

本日の走行距離755km。飲み屋に入って疲れを癒した。


9月21日(土)

明日からの探訪に備えてスポットの予習をする。
別の本を次から次へと読むにつれ、衝動的に行きたくなった場所が幾つか見つかる。
間際になって見つけるなんて、計画性が無いなあ…。

9月20日(金)

自分の職場の討議集会が火曜日になった。
張り詰めた気持ちで出社したので、一気に力が抜けてしまった。
緊張感を楽しむのもいいが、このような話題では全く面白くない。

9月19日(木)

あと10日ほどで前期末である。
色々あった半年だったけど、次の半年間は何があるのだろうか。いや、次の半年はあるのであろうか?
労組主催の、異例の定時間内職場オルグが明日開かれる。どんな展開が待ち受けているのだろうか…。

9月18日(水)

今日はテニスで汗を流す。
夢中で体を動かしていると気持ちが良い。
だんだん涼しくなってきたので、早く着替えて風邪をひかないように注意しよう。

9月17日(火)

子供の安否を気遣う親の気持ち、計り知れないものがある。
ましてや20数年もの長い間、吉報を待ち続けていたのである。
いつ何処で、どのようにして亡くなったのか。一番知りたい事が判ったとしても生涯悲しみが癒やされる事はないだろう。

その場所を訪れてみる。「ああ、ここなんだ」と。
家族でなくても、ひどい脱力感に襲われる事がある。頭の中が真っ白になる。
でも、自分は生きている。
無理して強がる事は無い。みっともなくてもいい。
声をかけて支えてくれた方がいたなら、それに報いるためにも、よろよろ歩きながらでも後ろを振り返ることなく前を向いていかなくてはいけないなと思った。


9月16日(月)

今日は比叡山オフの日。
メインは元三大師御廟、慈忍和尚廟、天梯権現、狩籠の丘の四大魔所の探訪。
最初の三つは、比叡山も認める比叡山三大魔所である。

曼殊院、赤山禅院、崇道神社、三千院を経由して比叡山へ。
一箇所、天梯権現だけ場所が判らなかった。また、来週チャレンジだ。

御廟狩籠慈忍廟

慈忍和尚廟へ向かう途中、「この先、幅2.3m」の看板が。
入りかかった所でトラックが。バックで10数メートル戻る。
18時近かったのでその後は擦れ違いがなかったけど、2.5kmほどの道は避ける場所も無いので来週はどうなるのかと心配である。


9月15日(日)

今日は六甲オフの日。朝6時に車で家を出発。
B野さんとNバさんと摂津本山駅で待ち合わせて、摩耶山天上寺、再度山大龍寺を訪れた。

山道を登る途中、UFOやスカイフィッシュを撮影していた方の話を聞く。
すると、道の途中で三脚を立てて、ビデオ、カメラ撮影している二人を目撃。
なんと、その方たちであった。

一人は『これマジ!?』のスカイフィッシュの回で、セイン・カミュさんと一緒にそれを追っていた武良(むら)さん。
UFOやスカイフィッシュが写っている、写真アルバムを見て驚いた。
写真を二枚いただきました。ありがとうございました。


9月14日(土)

午前中、ぶらぶらしてみた。
行く当てのない電車の旅。なんか、久しぶり。
午後からまた忙しかったけど、時間だけがあっという間に過ぎてしまった。

今日は、不思議な縁があって、いろいろな事を知った。
人から少しでも慕われるような生き方をしなくては、と思った。


9月13日(金)

今日は朝から忙しかったけど、何とか用事を済ませることができた。
でも、夏だからと、服装のことで恥をかいてしまった。なんだかなぁ…。

誰でも相手に悪い印象だけは持たれたくない。
なんでもそうだけど、相手の気持ちを考えて物事を聞くことほど難しい事は無いなと感じた。


9月12日(木)

自己中心的な考え方ばかりしていると、手痛いしっぺ返しをくらうことがある。
友人や知人に対して、あの時、こう言っておけば良かったとか、もう少し話をしておけば良かったと思うことが、一生のうちには幾つかあるのだろう。
でもそれは、その時になってみないと気がつかない事が多い。
様々な出会いと別れ。長い人生、これからも続いていく。
後悔して傷つき落ち込むくらいなら、遠慮しないで積極的に話していこうと決意した一日であった。

9月11日(水)

同時多発テロから一年。もう、である。早く、街が復興できますように。
日本の景気が一層冷え込み、対岸の火事ではなかった。
自分も例外ではなかった。

心のアミーゴ、霊能者・織田無道氏が逮捕されたニュースが飛び込んできた。
また、「霊」の世界に携わる人たちが変な目で見られていくのであろうか。

先日の飲み会で、方言の話題が出た。
4月に奈良町資料館を訪れたとき、「カーン」の梵字が背中に描かれたマスコットを手に入れた。
代金を支払うとき、千円札と50円玉を出したつもりが、50円玉が10円玉だったのだ。
おばさんが一言「それ、10円やん!!」
怒られたと思ってビビッてしまった。

こっちの言葉って怖いですよと話した。
それを聞いた方が「10円出したボケに対するツッコミですよ」と、笑って説明してくれた。
ボケとツッコミか。少し、免疫ができたようだ。


9月10日(火)

プロバイダからの連絡が無かった。
このまま待っていても埒が開かないので、電話することにしよう。
6年間も付き合ってきたのに、ホント最近、サポート体制が悪くなってきたな。

9月9日(月)

プロバイダから、動作不具合の返信が来た。
「メールを送ることができる環境にはなっております」「システム関数は、実行できる環境になっております」
って、できないんだってば。
そっちの設定なんだから、もう、どうしようもない。

9月8日(日)

今日はホームページの新企画『○○魔界ツアー』の京都篇「京都魔界ツアー」の第一回目。
天気予報は良かったけど、京都駅に着いたら土砂降りの通り雨。なんだかなぁ。
でも、それに相応しいゲストをお迎えする事ができた。

今年に入ってから、何人初めての方々にお会いしただろうか。もう10人近い。
楽しいひと時が過ごせて幸せ者である。


9月7日(土)

明日の「京都魔界ツアー」に備えてコースの確認をしてみることに。
と思っていたら、地図やら参考書など見当たらない。
やっぱり、整理整頓からやり直さないといけないなぁ。お子さま並みの自分であった。

9月6日(金)

20時のサーバ切り替え前に、スクリプトのテストをやってみた。
アクセスカウンタもメール送信も動かない。
プロバイダに電話したら営業時間外の留守録が。サーバ管理者の携帯に直接かけてみた。
「当社のホームページでは動いています」って、ディレクトリ構造が違うんじゃないの?

画像が壊れていてもカウントしているし、メール送信はファイルに書き込んで応急処置したけど。
直前までテストしなかった自分も悪いけど、同じ環境を提供してくれないと困るんだよなぁ。
回答は休み明けって、週の前半に切り替えてくださいよ〜〜〜。


9月5日(木)

冷蔵庫の調子が悪い。先日、冷気が止まっていて庫内が外気で熱くなっていた。
出かけるときコンプレッサーがウンともスンとも言わないと、帰るまでとても不安になる。
どうやら、ドアのリミットスイッチが接触不良みたいだ。

9月4日(水)

HPの内容を全てダウンロードして、新サーバにアップロードした。計3時間かかる。
6日20時の切り替え時には間に合った。常時接続環境だったら、電話代を気にしなくていいのに。
なにより、プロバイダの都合で設備変更するんだから、複写するくらい当たり前なのになぁ。

9月3日(火)

契約プロバイダの設備(webサーバ)がNSPIXPから近距離に接続されることになった。
このサーバへの移行作業中、日記を違うディレクトリにFTP転送していたことに気付く。
6月5日から、web上では更新されていなかったのだ。なんてこったい。

内容が日記なだけに、「貴方の日記が停まっています」なんて教えてくれる方はいなかった。


9月2日(月)

朝一で釧路湿原まで走る。辺りは霧だらけ。
車の返却時間が迫っていたので、冷泉橋で引き返す。
冷泉橋

北海道は、信号機も無いがガソリンスタンドも無い。慌ててしまった。
連絡バスで釧路空港に到着。辺りは、濃霧で良く見えない。帰りの便が欠航していないだろうか。
上空では、着陸できずに天候回復待ちをしている飛行機が何機かいたようだ。中には、別の空港へ向かう便も。
自分の便は大丈夫とのこと。安心した。

濃霧の空港

霧で周りが見えない中、無事離陸。定刻から20分遅れて名古屋に着陸した。


9月1日(日)

北見からオホーツク2号に乗り遠軽駅まで。駅から出ると雨。
レンタカーを借りてフィールドワークを開始した。

「がんぼう岩」。頂上には柵もなく、足を滑らせたら真っ逆さまである。
恐る恐る下の風景を撮る。

岩

北見峠、丸山峠、金華、鎖塚と殉難者慰霊の碑を巡る。

碑1碑2碑3碑4
常紋トンネル

途中、常紋トンネルへ。

国道から外れて5kmくらい未舗装路を走り行き止まり。
常紋信号場に着いた。トンネルは、スノーシェッドで見えない。
シェッドの中を、数100メートル歩く。トンネルに着いて撮影する。
トンネル内の退避用スペースの壁の中から、立ったままの人骨が見つかったのだ。人柱であろうか。

その帰り、シェッドの中を歩いているとガタゴトと列車の音が聞こえてきた。
シェッドの中は4本レールがあるだけで、退避する場所が無い。
逃げ場を探しているうちに列車の顔が見えてきた。
一番左側に逃げたら、そのレールを走ってきた!!
が、鉄骨の柱の影に身を隠して何とかやり過ごすことができた。危なかった…。

霧で視界が10数メートルの中、美幌峠、屈斜路湖、摩周湖を経由して、野付半島までアザラシを見に行った。が、いなかった。

霧の美幌峠

もう18時過ぎ、薄暗い。代わりに、霧の中の原生植物の花園の中をトドワラを探して彷徨う。
結局、ガイドブックにある写真の風景にはお目にかかれなかった。アザラシの代わりの看板。

看板

釧路市の宿まで、霧の中を進む。途中、居眠り運転したようだ。
本日の走行距離580km。随分と走ったものだ。


[HOME][BACK]

Copyright (c)2001-2002 kibitaro
Since 12/04/2001, Last Updated 09/30/2002