不思議小話
第40部


  1. 今月は病院にまつわる不思議な話ということなので投稿させていただきます。

    研修医の頃に勤務していた病院での話です。
    そこは、どちらかというと公立の福祉医療を行っている病院でした。
    患者さんの大半は経済的に貧しく生活保護を受けている人が多く、地域としても貧しい地区でした。
    患者さんには、身よりのない一人暮らしの老人や、かつて極道をして親族から見放されたような人が多い病院でした。

    その患者さんは、かつて戦時中は海軍の軍人であったとのことですが、戦後落ちぶれて、一人暮らしで生活していました。
    生活保護を受けて生計を立てていたと思うのですが、親族からも見放されていたようです。
    体調を崩したあと入院になったのですが、入院したときの病名は、梅毒性脳髄膜炎、梅毒性大動脈弁閉鎖不全症でした。
    おそらく若い頃の放蕩がたたったと思われます。

    年齢と病気の状態から、手術は無理であり内科的治療も効果がないだろうと考えられ、あとは死期を待つだけの状態でした。
    脳髄膜炎のため、時々辻褄のあわないことや、若い軍人であった頃の話を口走っていました。
    病気の進行から、心不全に陥り亡くなりました。

    亡くなられてから、親族に連絡をとろうとしましたが全く手がかりがありません。
    生活保護を受けていた関係から区役所の福祉課を介して調べてもらっても、親族等の身寄りが全くわかりませんでした。
    今後の埋葬のこと、お骨のお祀りの事があるため、その病院ではよくあることなのですが、区役所の福祉課にお願いして、無縁仏として葬っていただきました。
    通常区役所では、半年間お骨を最寄りのお寺にお願いして保管し、半年後に身寄りが判明しないときは、無縁仏としてそれなりのお寺に埋葬することになっていました。

    その患者さんが亡くなられて半年後、突然初老の女性が病院を訪れました。
    女性の話では…。

    長年音信不通の兄が昨夜枕元にたった。
    兄のことを思い出すのが本当に久しぶりであったため、どうしているか心配になり、以前風の便りに聞いていた兄のアパートを訪問してみた。
    管理人の話では病院に入院しそのアパートを引き払ったままだという話を聞いた。
    入院中の兄は元気でしょうか?

    というものでした。
    病院の事務の方が、入院からの顛末をお話しし、半年前に亡くなられ遺骨は某寺に祀っています、訪ねてみて下さいと説明しました。
    その女性が、お寺を訪れたところ兄の遺骨はまだそのお寺にあったのですが、実の所、翌日無縁仏として他のお寺に埋葬される事になっていました。
    女性は兄のお骨を引き取り自宅の仏壇に祀ったとのことです。
    [PTCA machine]
    間際になってからの出来事。よく聞きます。

  2. こんにちは。今から20年位前の話です。
    父方のばあちゃんが亡くなって、初七日の法要を自宅で行う事にしました。
    まだ葬儀で使った祭壇がそのまま座敷にしつらえてあり(葬儀は他の部屋で行いました)、そこへお坊さんを招いてお経をあげてもらう事にしました。

    当日、その座敷に入ったお坊さんが一瞬ぎょっとした様に「あの柱の穴は何です?」と聞いたそうです。
    うちは古い家で、蚊帳を吊った跡なんかが残っていて、その穴もそうだったんですが。
    あとで母は「丑の刻参りの五寸釘の跡と思ったのかしら」と、とぼけた事を言ってましたが。
    誰が座敷で丑の刻参りなんかするかい!

    以前このHPで柱に釘を打った為にヘルニアの様な状態になったという話がありましたよね。
    やはり、柱とかに不用意に釘とか打っちゃいけないんですね?
    で、その後の話です。

    お経をあげる前に、くだんのお坊さんが「この部屋には髪の長い女の人の霊がいますね」と言われたそうです。
    その時は誰も何も言いませんでしたが…。
    あとで古くからの知り合いのおばちゃんから「髪の長い女の人というのは不幸な亡くなり方をした(その部屋で亡くなったみたいです)縁者の方」だという事を聞きました。
    その頃は、私はもちろん、母も嫁いで来る以前の事なので、その話は知りませんでした。
    でも、子供の頃はその部屋に入るのは、恐いというか気持ち悪いというか、凄くいやでした。

    で、お坊さんがその後どうしたかというと、何もしませんでした。(笑)
    いや、ばあちゃんのお経と一緒にその方の供養もしてくれたのかどうか、何も言わなかったのでわかりませんが…。
    訊けよ、うちの親も。(^^;
    うちらは、霊感がないのでまだその部屋に霊がいるかわかりません。
    何か対処してくれるか、対処方法を教えてくれるんじゃなきゃ「霊がいる」なんて教えてくれない方が親切ですよね。(^^)

    その後、母は「あのお坊さんでもそういう力(霊感)、あるのね」と甚だ失礼な感心の仕方をしていました。
    [みやちゃん]
    気になることを言われてしまいましたね。よほど穴が気になった様子。
    穴から目が覗いてたなんて言ったら怖いかも…。

  3. 私の母は、長年霊能者として色々な霊現象を解決しています。
    そのため私も色々な話を聞いてきました。
    この話は、大阪府の某警察署の交番で起きた本当の話です。
    当時、私は8歳で、巡回に来た巡査部長のKさんが、何回か家に来て親しくなり母の能力を垣間見、ある日こんな話をされたそうです。

    「私の勤務する交番では、以前から異常な事が起ってる」という話から詳しく聞いてみると、毎日のように常識では考えられない現象が起きていました。
    風も無いのに雨戸がガタガタと鳴り、初めは風のせいか誰かの悪戯かと思っていたのです。
    ところが、あまりにも続くので雨戸を開け確認したところ、誰もいないし風も吹いていなかったので、どうしてか?と不思議に思ったそうです。

    そのうち、深夜勤務をしていた警官が休憩室で横になっていた時、二人同時に金縛りに遭ったりし、そんな事が何度も繰り返し起ったある日のこと。
    書類整理をしていた若い警官が、誰かがいるような異様な気配を感じて、ふっとテレビのほうを見ました。
    すると、消してあるはずのテレビの画面から黒い人影のようなもやが出てきたので、ビックリして恐怖のあまり表に飛び出しました。

    ある時には休憩室の扉の向こうから、異様な気配を感じて扉の覗き穴から見たところ、黒い人影が右から左に横切ったのを見ました。
    目の錯覚か誰かがいるのかと思い確かめに部屋の中に入ったら、異常な寒気を感じてぞっとしたことなどが何度も長期間続きました。
    そして「恐くてもうここに勤務するのが嫌だ!」という声が多くの警官から出始め、本署でも無視できなくなり、廃止するという話も出始めたそうです。

    その話を聞いた母がその場で霊視をし「そこで昔の制服姿の警察官が亡くなっている。そこにある小さな石碑から彼が出入りしているのが見える」と言いました。
    それ対してKさんが「確かに巡査部長が交通事故で即死している」との答えが返ってきたが、母に視えた死亡した場所とKさんの言う死亡した場所は違っていたのです。
    そのため「その事故の調書がどこに在るのか」と聞いたら本署の倉庫に在るという事がわかったので、「私のゆうてることの方が正しいから、調べて返事を持ってきて!」という事になり、その日は帰りました。

    基本的に警察官は、科学で実証できないこと(超常現象等)は認めてはいけない事になっているそうです。
    後日Kさんは本署で調べて「確かに先生のいわれるとおりでした、あらためて視て欲しい」と依頼が来ました。
    数日後、母が霊査(霊視能力により原因を調査)したところ、亡くなった警察官はトラックに跳ねられ即死したため、死んだ事が解らなかったので自縛霊になり、自分がまだ勤務してるつもりで仲間だと思い出てきてた。

    「警察では合同慰霊祭が10月にあるのでそれで良いか」という質問に対し、「それでは駄目だ」と反対しました。
    更に「どうすれば良いか?」との問いに対し、条件を満たさない場合、本当の意味での霊供養にならない為お断りをしました。
    そして、あるお寺さんに依頼されたそうですが霊障がおさまらず、条件を満たすという事で、5,6人の警察官立会いの元、再度、除霊・淨霊・浄化をした結果その現象は完全に収まりました。

    後日、警察の上役がその交番の建て替えをするので設計の相談に来られました。
    そして母は、方位方角にのっとって説明しました。
    その結果、普通の交番ではまずありえないような、異常な建て方(通りに入り口が面せず横向き)で、今でも交番はそこにあります。
    [rika@]
    どの様なプロセスで見えるのか興味津々です。
    方位方角というと風水に関係があるのでしょうか? それとも鬼門やいわゆる霊道に関することとか…。

    当HPへも投稿がありました。

  4. 初めて投稿します。AZUMIN(男です)といいます。
    怖い体験談ではありませんが、私の「霊」への思いを綴らせていただきます。

    怖い話を長時間まとめて読んだ後に感じるのは、私の場合、怖さより「哀しさ」なんですね。
    何だかすごく哀しい気持ちになるのです。
    ハンドルからもお分かりの通り、私の出身は長野県の安曇野ですが、見渡す限り山また山の山奥に生まれました。
    私をかわいがってくれた祖父母に「ご先祖様(のの様と言ってましたが)を大切にしろ。のの様はいつもお前を見てくれてるでな」と言われ続けて育ちました。
    子供の頃は体が大変弱く「二十歳まで生きないだろう」と言われて哀しくなったときは、のの様に「丈夫にして下さい」と手を合わせたものでした。
    そのせいか、今では「殺しても死なない」といわれるほど頑丈になりましたが、それは「のの様」のおかげであると今でも思っています。

    そんな私にとって、「霊」とは私を守ってくれる存在であるという認識が強いのです。
    だからこそ、不幸な生涯を送り、自らの命を絶ち、あるいは他人に絶たれて、この世に未練を残した人が、この世をさまよい続けるという物語に、えもいわれぬ哀れさを感じてしまうのかもしれません。

    私は、数年前に企てた脱サラに失敗し借金を抱え、夜逃げを考えたものの何とか親切な人に拾われ、その人の会社が業績悪化でリストラされ、すわ第2次夜逃げ計画発動か!と思った途端、今の会社に就職できました。
    ちなみに、再就職する度に収入は増えています。

    この事実も、私にとっては「のの様が守っているからだ」と思えるのです。
    霊の存在を信じる信じないは別にして、私にとってはそうとしか思えない。
    逆に「守ってくれるもの」が居てくれるからこそ、精一杯生きていけるとすら思えるのです。

    10年前、私の祖父が亡くなりました。享年89歳でした。
    祖父の友人でもあったお寺の住職さんは、お通夜の席で「こんなに安らかな仏様は見たことがない」と驚いていたほどの、見事な最期でした。
    火葬場ではお骨が真っ白で、仏様(喉仏のお骨)がきれいな三角形で、葬儀場の係りのおじさんも驚いていたほどです。

    はた目から見ている限りでは、幸せな生涯とは思えなかったのですが、本人は満足して成仏したようです。
    私も、このように安らかに、満足しながら成仏したいと心から思ったものでした。
    同時に「あの世はある」と私の中で確信した瞬間でもありました。

    さらに、私の命は私だけのものではない。
    生きている限り精一杯生きることが「のの様」を大切にするということなのだ。ということがその時初めて理解できました。
    きっと祖父もこのことが言いたかったのでしょう。
    だから、この世に未練を残してさまよっている人たちに哀しさを感じるのです。
    今の私の運の良さは、祖父が見守っているからだと思っています。
    せっかく、祖父が見守っているのに、自分の命を粗末にすることなどできるわけがありません。
    たとえ、思わぬ時に他人に命を絶たれたとしても、今を精一杯生きていれば、この世に未練を残すことはない。そう思っています。

    この世に未練を残して、この世をさまよっている人たちは大変気の毒な人です。
    単なる怖いもの見たさで「霊界スポット」を訪れるのは、誉められたことではありませんね。
    どうせ訪れるのなら「霊」の一人でも成仏させてやろうという気概を持つべきでしょう。
    こんなこと、並大抵ではできません。命がけです。

    長くなってすみません。では、今後のご活躍を楽しみにしています。
    [azumin@]
    自分にとっての見えない存在=心の支え。大切にしたいものですね。

  5. こんにちは。恐い話が大好きなみやちゃんです。
    恐い話を求めてあちこちさ迷った末に、このHPに辿り着きました。
    楽しく(?)拝見しています。

    実は、私の母の、幼い頃に亡くなった母(私のばーちゃん)というのが、東京のちょっとだけ有名な神社の神主の娘でした。
    で、母はちょこっとだけ霊感があるらしいのですが、私はまるっきり感じる事がありません。
    金縛りすらあったことがなくて。こういう能力は遺伝しないんですね。(^^)
    ま、もっともばーちゃんに霊能力があったかどうかは知りませんが…。

    母から聞いた話ですが、神社は夜になると、しーんと静まりかえってしまうそうです。
    それに対してお寺(墓地)はガヤガヤ騒がしいそうです。霊が沢山いるから?

    今年の冬に出張で京都に行った時、鴨川の側の某ホテルに泊まったんです。
    その時部屋が空いてたんで、シングルで予約したのをホテルがサービスでツインに替えてくれたんです。
    ラッキーって思って部屋にあがって、カーテンを開けたら…。

    墓地だったんです。ホテルの西側はずっと。やられたよって感じでした。(笑)
    ま、京都という土地柄珍しくもないのかもしれないけど。
    その夜、体が重く…なることもなく、ゴロゴロとTVなど観ていたんですが、疲れているはずなのに何か寝付かれないんですよね。
    別に恐いとか、気配がするとかじゃなくて、なんとなくザワザワしていて。
    部屋に人がいっぱい居るような…。
    結局、いつもは真っ暗じゃないと寝られない私が、その夜は電気を全部つけて寝ました。寝られなかったけど(^^;
    恐い話じゃないですけど。
    [みやちゃん@ok]
    墓地の隣って、夜は虫の声が響いていて風情があるんですけどね(^^)

  6. 唐突ですが、私はポケモンが好きなんです。
    ポケモンのアニメって知ってますよね?
    他の所では19時からやってるらしいのですが、ここは地方なんで、月曜の16時25分から。
    そうすると、どうしても学校の時間と重なって見られないんです。

    さて本題。
    先日も学校祭の準備で、いろいろと忙しく時間が過ぎていったんです。
    私は委員なので、合唱コンクールの準備をしてました。

    「一組が未提出だな」
    「そういえば一組は運動会で黄色だったな」
    「応援歌はポケモンの歌だったっけ」
    「そういえば今日はポケモンの日だっけ」

    とまぁこんな感じでアニメを思い出して、今何時だろうと思って振り向いたら、ちょうど16時25分40秒。
    うちの学校の時計はちょっと早くて、40秒に標準時の00秒です。

    くだらなくてすみません(汗)
    私としては何となくうれしかったです。
    [るる@ポケモン好き]
    話題にすると人が来たり、時間が合う。何でもないような符合だけど…。

  7. 母が、子供の頃、父親(私の祖父)から聞いた話です。
    母の生まれ育った所は愛媛県のすご〜い山奥でした。
    私が幼い頃訪れた時でも、車を降りてから何時間か歩かねばならず、かろうじて電気は来てるものの、かまどや涌き水をひいた泉、そんな物が現役で活躍していました。
    下界の街の灯りと、蛍の灯をよく覚えてます。

    50年前はそういう場所ですので懐中電灯などなく、提灯を使っていたそうです。
    村の寄り合いで、すっかり遅くなってしまった祖父が、真っ暗な中を帰っていたときです。
    後ろから誰か、ついてくる気配がします。

    山の細道です。近所といっても数100mも離れた所に隣家があるくらいで、皆それぞれ別の道を帰っていきました。
    おかしいと思い振り返りますが、もちろん誰もいません。
    でも、歩き始めると確かに別の足音が聞こえます。
    しばらくついてきた足音は、道端のお地蔵様の前に差し掛かると、かき消すように消えてしまったそうです。

    今思うと、トトロが集団で住んでそうな場所でした。
    山の精霊や妖怪は、何処にいったのでしょうね。
    [ゆかねこ@]
    アニミズムの世界。いいですねー。

  8. 普賢岳の対岸よりお便り申し上げます。初投稿です、今後よしなに。
    常識外の職業に従事するコスプレ仲間平さんとつるむうちに、奇怪な実話には事欠かなくなってしまって、はや数年。
    それでもこういうサイトを見かけるとつい見てしまう自分が多少おかしくもあります。好きなんだからしょうがない。

    平さん(副業に斬魔士稼業を営む兼業会社員)の語る話は、こういった不特定多数の目に触れる所で話題にするのは、はばかる代物でもありまして。
    これからお話しするのは、私が学生時代、天候回復待ちで缶詰状態。何もすることがないテントの中でさんざん聞かされた怪談の一つです。

    お断りしておきますが、この話は実際にあった山岳遭難事故がベースとなっています。
    諸事情により、地名・人名など固有名詞は全て省かせて戴きます。

    11月初めの事だったそうです。
    文化の日と週末の三連休を利用して、前夜発日帰りの山行に出かけた人がいました。仮に名前をじらさんとします。
    いい山行だったそうです。天候は安定していて当分秋晴れが続きそうで、ちょうどその地方の低山は紅葉が見頃になる時期で何とも華麗な眺望です。
    手軽な山でしたから、親子連れも随分いました。

    ところが昼過ぎになって、道を間違えたことに気がつきました。
    慌てて地図を読みながら、もと来た所に帰ろうとしたのですが、どういうわけか、どうしても尾根筋に戻れません。
    そうこうしているうちに日が暮れてきます。
    が、そこはじらさん。そろそろベテランの域に入る人でしたから、その日のうちに下山するのはすっぱり諦め、風の当たらない場所でビヴァークの支度を整えて夜をしのぐことにしました。
    レスキューシートと細引き縄で夜露避けに簡単な天幕を張り、ありったけの防寒具を着込んで寝るともなく、うつらうつらしていました。

    夜半、はっと目を覚ましました。
    子供の声がします。半泣きで親を捜している様子でした。
    親子連れでハイキングに来て、はぐれたのかな?
    そう思ったじらさんは、マグライトを灯け、声のする方に光を向けて呼びかけました。「こっちだよ、おいで」
    また別の声がしました。やっぱり半泣きで親に助けを求める声でした。
    兄弟ではぐれたのかな?
    もう一度呼びました。「おいで、こっちだよ。おいで」
    またまた別の子供の声がしました。

    ここに至って、さしも、のんきなじらさんも気がつきました。何か変じゃないか?
    うろたえている間にも、声はどんどん増えていき、しまいには何十人もの助けを求める子供の声が、夜明けまでわんわんと、こだまし続け…。
    こんなパニック状態で動いたら本当に死ぬ、と白白明けまで必死で待ち、あれほど見つからなかったのが嘘のようにあっさりと辿り着いた下山道を、逃げるように下りました。
    そして、2時間もしないうちに麓に辿り着きました。
    下山口近くの公衆電話でタクシーを呼び、ようやく人心地がついたのです。

    運転手さんと四方山話をするついでに、夕べの怪異の事をちょっと尋ねてみました。
    あの辺、何か因縁話でもあるのかい?
    「あるどころじゃありませんよ、お客さん」
    じらさんが迷い込んだ斜面、そこで、かつて小学校のハイキング一行が天候の急変に遭いました。
    まともな雨具の用意もない状態で風雨にさらされた数十人の子供達が、疲労凍死するという痛ましい事故がおきたのは、まさにその場所でした。

    ご冥福をお祈りいたします。
    [響@iaptfo]
    山の天気は変わりやすいと言いますが。教訓とさせていただきます。

  9. 「めそ」さんの投稿を読んで思い出した、仲間達とキャンプに行った時に聞いた話です。
    彼女はよく、見るそうですが、その中で「あまり怖くない話」という私達のリクエストに応えて教えてくれたのは…。

    彼女も、やはりキャンプに行った時の事、怖がる友人達と連れだってキャンプ場のトイレに入ったそうです。
    なんだか嫌な感じはしたものの、姿は見えなかったのです。
    早く済ませて出ようとしたその時、とうとう見てしまったのです…ドアノブに映る女性の姿を。
    もちろん、自分の姿ではありません。
    確か全身が映っていたと聞いたように記憶しています。

    ドアノブに映る姿って? 大きさは一体??
    こういう時に現れるのは必ずしも等身大ではない。ということですよね?
    厚さ1mmの霊がいるということは、ドアノブに全身が映る霊がいるというのも納得できます。

    私が小さい頃、父が「悪いことをしなければ、お化けは出ない」と言ったので、子供心にも「絶対悪いことはしない」と思ったものですが、そうでもなさそうですね。
    できれば生涯お会いしたくないと願っているのですが…。
    [まき@cac3hcb2]
    私もそう願っているうちの一人です。(^^;

  10. 今から11年前。確か金曜日の深夜に母方の祖父が亡くなった。
    母は僕と妹に「明日はお通夜になるけど、あんた達は学校に行きなさい」と言った。
    ちょうど中学の期末テストの真っ最中だったこと。テスト期間もあと1日だったこともあっての考えだと思った。
    翌日のテストも終わり、ごく普通に一日は過ぎて、翌日曜日はひとまず葬式に出て祖父を送ってやった。

    月曜日。僕は母の大声で目が覚めた。
    「あんた達!遅刻!遅刻しちゃうよ! おかあさんの目覚まし、止まっちゃったのよ」
    2階の部屋から眠い顔で居間に下りていくと、家の中が慌ただしい。

    父は朝御飯も食べず、早々に出勤していく。
    妹はすでに制服に着替えて、ブラシが無いとかわめいている。
    居間の時計は、4時を過ぎた所で止まっていた。

    …居間の時計?
    よく見れば、あちこちの時計が、みんな止まっている。
    トイレの時計も洗面所の時計も、祖母の部屋の時計も僕の腕時計も。
    電池で動く時計も、コンセントから電源をとっていた時計ですら止まっている。
    「みんな時計が止まっちゃって。あたし気がつかなくて、あーもう、とにかく早く学校行って!」
    とりあえず、遅刻ぎりぎりで登校したのを覚えている。

    家に帰ってきて、それが我が家だけに起きたことではなかったことを母から聞いた。
    その朝、死んだ祖父の家と、母の兄弟の家の全ての時計は、4時過ぎで停止していたという話だった。
    母方の祖母が言うには「みんな疲れただろうから、ゆっくり寝ていて欲しかったんじゃねーかぇー」であったが。

    じいちゃん。時計止めるより、学校とか会社止めてくれないとイカンよ。しっかりしてくれよ。
    [やおちよ@]
    休日だったら良かったのにね。


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