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   「おおきな木」

 夕方の、中途半端な時間の突然の電話。夕焼けでオレンジに染まる部屋の中を、
夕食の準備に追われていたわたしは、ドタバタと電話を取った。受話器の向こうの
その声は、いつもの彼女よりも、1オクターブ位テンションが高い。
わたしの声を聞くと、名乗りもせずに、マシンガンのように話を始める程だ。

 電話をしてきても、いつもわたしの心配ばかりしている彼女が、自分の話題でこんな
に時間を独占しているなんて、よっぽどのことがあったんだろう。もうしばらくの間、
わたしは彼女の相手をしなくてはならなそうだ。
 「それでね、そのバスに、彼が乗ってきたの!本当に偶然に!ほら、彼よ。学生の
  頃、お付き合いしていた。」
 一生懸命、今日あった出来事をひとつずつ丁寧に思い出しながら、わたしに話して
聞かせてくれている。きっと電話の向こうでは、周りの空気をかき回す程の、オーバー
アクションの嵐なんだろう。そう考えると、おかしくって仕方がない。
 「えっ?その”彼”って、付き合ってた人なの?初耳だなあ。」
なんて、意地悪い返答もしてみたくなる。
 「あれ?言ってなかった?秋葉さん、って言う人。陸上の選手だった人。」
 「ああ、秋葉さんね。知ってるよ。何回もその名前、聞いたもの。でもいつも
  ”お友達”って言ってたじゃん。」
 「あら?そうだっけ?まあ、いいじゃない。いろいろお話ししちゃったのよ。
  元気そうだったわあ。何年ぶりだったろう。もっと、きれいにしていればよか
  った。」

 笑っちゃいけないとは思うけれど、そのとき彼女はすっかり、秋葉さんとお付き合い
をしていた(らしい)頃にタイムスリップしていた。この声の張りや艶も、きっとその
頃のものなんだろう。
 「ふーん。今、明かされる、母の昔の恋、ってやつ?」
 少女みたいにはしゃぐ彼女が、何だかかわいらしかった。今年、還暦を迎えようとし
ているおばあちゃんのセリフとは、とても思えない。

 恋は、いつでも女を変える。うん、この言葉に嘘はない。

 わたしの母は、十五年前に離婚した。結婚しても離婚しても、ドキュメントでも書け
そうな苦労をしてきた人だった。今は、弟と二人で小さな部屋で、ささやかな幸せを味
わって暮らしている。母の古い友人に言わせると、昔より人生を謳歌しているようだ。
この歳になって、やっと自分のことに目を向けることができるようになったからだと言
う。時々こうやって、嫁に出た娘に電話をよこす。彼女の楽しみの一つなんだろう。
 「やっぱり、女の子がいいわよねえ。」
と、わたしの声を聞くたびに、何かを期待するかのように繰り返す。

 そのときも、彼女のその声を聞きながら、わたしはあの光景を思い出していた。
どんなに時が経っても、いつもわたしの心の中のどこかにある、ひとつのビジョン。
色褪せてしまっても、きっと消えることはない、まだわたしが小さかった頃のことを。

 近所に「お鴨江さん」と呼ばれ、みんなに親しまれているお寺があった。そこは、
わたしのノスタルジーを全て閉じ込めてしまっているようなところだった。古くさい、
重厚なお堂。お堂をとりまく小さな森。誰が作ったのか、お堂の裏に隠れている、糞や
錆びで汚れた鳩のアパート小屋。そんなものまでもが、わたしの大切な記憶の一部なの
だ。
 その空間はいつも、長い歴史の精悍な匂いと、ある種の寂しさを同時に漂わ
せていた。今はもう、新しくモダンな風貌になってしまって、その頃の面影は何もない
が、昔はお彼岸の度、見世物小屋や的屋が今よりも、もっともっと軒を連ねて、怪しさ
を一層増していたのだ。
 お鴨江の行き帰りに必ず通る坂があった。大通りから外れていた石畳のその坂は、
近所の人くらいしか通らないようで、いつも静寂な匂いがしていた。お寺や、お寺横の
幼稚園で習い事をしていたわたしは、週に何度もその坂を上り下りしていた。足元を見
つめながら、空を仰ぎながら、春も冬も、ずっと。

 あれは、どのくらい前のことだったんだろう?母のお迎えの日だ。夕食の匂いが通り
に溢れ始めて、わたしたちは足早に、坂道を上っていた。斜面に一つしかない、うす暗
い街頭が、一歩上る度に、二つの影を伸ばしていく。
 影踏みに熱中していた幼いわたしは、だんだん追い付かなくなる自分の影に、どんど
ん不機嫌になっていった。そして、すぐ隣にいる母に、空腹の怒りをぶつけていった。
 だだをこねまくって、仕事で疲れているはずの母に、おんぶしてもらった。
母にしてみれば、とんだとばっちりだ。
 それでも、その温かい背中は当たり前のように、さっきまでの不機嫌な子供を、妙な
安堵で包み込んでしまった。
 周りのものすべてに包まれているような、不思議な柔らかさを持った背中で、すっか
り機嫌の直った子供は、冬の一番星を見つけてはしゃいでいた。母は、坂の途中で顔を
上げて、白い息を空に吐きながら立ち止まって言った。
 「わあ、本当!きれいだねえ、みーちゃん。ちゃあんとお願いしとかないとね、
  明日のことを。」
 「何をお願いするの?明日、晴れますように?」
 「そうだね、お天気と、幸せをね。」
 わたしは母の言うまま鼻の前で両手を合わせて、固く目を閉じて星にお願いをした。

幼い、というのは無邪気でいい。なんでもかんでも、真剣にたくさんお願いがでる。
足が止まったのを感じて再び目を開くと、春に白い小さな花を咲かせる、大きな木の
真下で母が星を眺めていた。母はこの木が大好きなのだ。いつもこの場所で、決まって
母は空を見上げる。母の大好きなお話しに出てくる木にとっても似ているんだそうだ。
 母がよく読んで聞かせてくれたそのお話しは「おおきな木」というものだった。
大好きな人に、自分が持っているもの全てを与えるりんごの木のお話しだ。
 立派だったおおきな木が、どんどん裸にされて、小さくなっていくことが、子供だっ
たわたしには、なんだかかわいそうなお話しにしか思えなかった。
 「大好きな人の為に、自分の体を削ってまで全てを与えることが、本当に相
  手にとって幸せなのかどうかはわからないけれど、大好きな人の為に、自分の
  持っているもの全てを与えることがでたその木は、きっと幸せだったのよね。
  愛する、っていうことは、そういうことなのよね。」
母は大人になったわたしに、いつかそんなようなことを言ったことがある。

 いろんな季節に母と、真上にあるこの木の枝越しに空の高さを計った。この寒い季節
に裸にされた枝には今、正に星の花が咲き始めたところだった。
 この光景に何か思い出があるのだろうか。自分で確かめるように、母は少女だった頃
の話を始めた。
 いつもの母とは違う彼女の気配から、それは母の恋の話なんだ、とわたしは幼心に思っていた。密やかに、でもゆるやかになっていく周りの空気からも、それは容易に感
じられた。
 その大切な人が苦しんでいたとき、何も与えてあげることができなかった自分を、彼
女は今でも後悔しているかのようだった。その後も何度か、その人の話を聞いたことがあった。聴く側のわたしはその都度、成長していた。でもその話はいつも、まるで色褪
せない言葉や声で、彼女の口から生まれていた。まだ幼かった冬、お鴨江さんの帰り
道、背中越しに彼女の声を聞きながら、その頬が染まっていくような気配が消えなかったのを、彼女からの電話で、今また思い出していた。

 アナタハ、アノトキ、ダレノシアワセヲ、オネガイシテイタノデスカ?

 あの日の幼い女の子は、もう、あなたの昔の恋を、いとおしく見守れる年頃になりま
した。あなたが時間をかけて、わたしに話してくれたことの意味も、少しずつわかるよ
うになってきました。
 本当に少しずつですが、人を愛することも愛されることも覚え始めています。
 愛とは、自分の中に生まれてくる温かい想いが、姿を変えて、大切な人の心の中に
住みついていくことなのですね。
 決して犠牲でも喪失でもなく、見返りも期待しない、与えたい、伝えたい、ただそう
したい、と思う気持ちが、自分自身に生きている喜びを与えてくれるんですね。
 幼い頃、あなたの大好きなおおきな木の話しを、悲劇だと思っていたわたしを、あな
たは微笑みと期待を持って、ずっと見つめていてくれましたね。本当の意味を、自分で
見つけ出せるまで。
 あなたが、長い年月をかけてわたしに惜しみなく与えてくれたその想いを、今本当
に、感謝してかみしめているところです。そしてこの素敵な想いを、わたしもまた、
大切な人に与えていこうと思います。あなたがいつまでも大切に温めている想いを、わ
たしはずっと、忘れずに生きていこうと思います。あなたと同じように。



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中山朋美Mail:Tomomi Nakayama